「ひな祭り」と「桃の節句」呼び名の由来をご紹介
3月3日の「ひな祭り」は女の子の健やかな成長と幸福を祝う年中行事ですが、春の訪れを教えてくれるお祭りでもあります。この時期は花芽が一斉に芽吹き、スミレやタンポポ、木蓮、雪柳等がモノトーンの冬から一変し色鮮やかに咲き始めます。3月3日には「ひな祭り」の別名として「桃の節句」と言う呼び方をします。他にもきれいな花たちがいる中でどうして「桃」なのでしょう?今回は「ひな祭り」の由来と共に「桃の節句」と言われる由来をまとめさせていただきました。
桃の節句の呼び名の由来
奈良時代より宮中では季節の節目の日を祝日として天皇の前で饗宴を行う風習がありました。年に数回行われるこの饗宴を「節会」と呼び、中でも1月の人日の節句、3月の上巳の節句、5月の端午の節句、7月の七夕の節句、9月の重陽の節句は重要視されていて「五節句」と呼ばれ大規模な饗宴が行われていました。
上巳の節会は中国で巳の日に禊を行う風習にならい、厄を川で流す曲水の宴を行っており、桃の花は邪気を払う効果があるためこの宴を盛り上げる重要なアイテムだったのです。後の世になりこの節会をより雅やかな呼び方をと言う事になり「桃の節句」と呼ぶようになりました。
桃と言うと桃源郷や桃太郎を想像してしまいますが、確かに桃源郷は天界にあって厄は当然関係なく、桃太郎は厄の塊の鬼を退治する。桃の花言葉は「天下無敵」となかなかかわいい花なのに効果絶大ですね。
桃の花ってどんなだったかわからない人のために桃の花の動画を紹介させていただきます。
和歌山県かつらぎ町の桃の花
桃は品種により濃いピンクや白に近い薄いピンクの花が咲きます。梅や桜と同じバラ科の低木樹なので花が咲かないと「これが桃か!」とわかりにくいですね。
ひな祭りの呼び名の由来
ひな祭りは宮中で行われていた饗宴でしたが、江戸時代になると庶民まで広くこのひな祭りを楽しむようになります。当初紙や木でできた簡単なお人形を川に流して厄を落としていたのですが、一部裕福な家庭でこの人形を富の証として豪華に飾る習慣が出来てきます。裕福な家庭により良き縁談をと願いを込めて。当時人形は人形と呼ばずに「ひいな」と呼んでいて、今で言う人形遊びを「ひいな遊び」と呼んでいました。「ひな祭り」はこの「ひいな遊び」の言葉が変化して出来た言葉なのです。
ひな祭りは日本独自の年中行事ですが、神教、仏教、儒学の言い伝えの幾つかがまじりあって出来ている為、由来については中国からの影響が色濃く、他の年中行事よりも起源については諸説入り乱れています。とはいえ、春の訪れを楽しみ、子供たちの健やかな成長と幸福を願い、桃の花を添えて楽しく宴を催すのはとても風流ですね。